海外源氏情報

『海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究』
2013年度 基盤研究(A)課題番号:25244012 研究代表者 伊藤鉄也

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十帖源氏:巻一 桐壺(現代語)

『源氏物語』の誕生
〈村上天皇〉の十番目のお姫さまである〈選子内親王(大斎院)〉が、〈一条天皇〉の后である〈藤原彰子(上東門院)〉に「新作の物語はありませんか」と、お望みになりました。〈彰子〉は、《紫式部》を呼んで「がんばって《物語》を新しく作ってきてください」と、おっしゃいました。《紫式部》は、《石山寺》に滞在して、この事を祈りました。すると、《八月十五夜の満月》が、《琵琶湖》の水面に映って、物語の風情が頭に浮かんだので、まず、須磨の巻から書いたそうです。『源氏物語』の巻の数は天台の教典六十巻をもとにして(現在の『源氏物語』は五十四巻)、巻の名前は四諦の法門、「有門、空門、亦有亦空門、非有非空門」という文を参考にして名付けました。第一には物語の本文から、第二には和歌から、第三には本文と和歌から、第四には和歌にも本文にもないところから、巻の名前を決めました。もともと「藤式部」と呼ばれていましたのを、この物語の一部で〈紫の上〉のことをとてもすばらしく書いていたことから、「紫式部」と呼び名が変えられたのです。〈紫式部〉は、観音の化身だという伝説もあります。檀那院僧正に天台一心三観の血脈を許されたのです。
紫式部の系図
堤中納言兼輔—因幡守惟正—越前守為時—女(紫式部)
母は摂津守為信女の堅子です。(注)一般的な説とは異なる部分もあります。類似した系図が『源氏物語』の注釈書である、『湖月抄』にあります。
〈絵1〉八月十五日の夜、石山寺で、〈紫式部〉が、『源氏物語』を書きはじめた場面(2丁裏)
いつの時代のことでしょうか、女御や更衣などといったお后が大勢いらした中に、特に高貴な身分ではなく、帝にとても愛されていらっしゃる女性がいました。〔「いつの時代」とは、〈醍醐天皇〉の時代のことです。帝に愛されていらっしゃった女性というのは、〈桐壺の更衣〉です。〕宮殿の梨壺という建物は照陽舎の別名です。桐壺という建物は淑景舎の別名、藤壺という建物は飛香舎の別名、梅壺という建物は凝花舎の別名、雷鳴壺という建物は襲芳舎の別名です。(お后の名前は、それぞれの住んでいる建物の名前で呼びます)
この桐壺に住んでいる更衣を愛されたので、この時の帝のことを〈桐壺の帝〉ともいいます。大勢の女御や更衣たちはうらやんで、毎日〈桐壺の更衣〉が帝の近くにいることに、嫉妬をしてばかりいました。
そうやって、他の后たちの恨みをたくさん作った結果でしょうか、体が弱くなっていきました。〔重い病気です〕心細い感じがして、実家に帰っていることが多い〈桐壺の更衣〉のことを、帝は、これまで以上にたまらなくお思いで、人々が悪口を言っていても、愛情をお止めになることができません。
中国でもこういう恋愛関係が原因となって、世も乱れ、とんでもないことにもなったと、世間の人もおもしろくない気がして、人々の悩みの種にもなり、中国で〈玄宗皇帝〉を夢中にさせた〈楊貴妃〉の話に例えられそうになりました。
この〈桐壺の更衣〉の父はすでに死んでいて、母親の〈北の方〉は、由緒のある家柄出身であり、古風な人なので、他のお后たちにも負けないようにしています。しかし、何か大事なことがある時には、頼るところがなく、心細い様子です。
(〈桐壺の帝〉と〈桐壺の更衣〉は)前世でも約束が深かったのでしょうか、美しい玉のような皇子までも生まれました。〔この人を〈光源氏(光る君)〉といいます。〕第一皇子は、〈右大臣の女御〉が生んだ子供なので、間違いなく皇太子になるだろうと、世間の人々も大切にしているのですが、この〈光源氏(若君)〉の美しさには、とうてい勝つことができません。
〈光源氏(若君)〉が生まれてからというもの、帝はこの〈光源氏〉をとても大切にしていらっしゃいましたので、〈光源氏〉が、皇太子になるのではないかと、第一皇子の母である后は、心の中で心配しています。
帝が、たくさんの后たちの部屋の前を素通りして、何度も何度もお通いになることに、他の后たちが嫉妬しているのも、もっともなことです。あまりに〈桐壺の更衣〉が帝に呼び寄せられる回数が多くなっていきます。すると、打橋や渡殿といった宮殿の廊下など、〈桐壺の更衣〉が通る、あちらこちらの道にいたずらがされていました。それは、見送りや出迎えの侍女の着物の裾が、まったく我慢できなくなるような、とんでもないことなどです。またある時は、〈桐壺の更衣〉が、絶対通らなければならない中廊下の扉を閉めて、こちらとあちらで協力し、〈桐壺の更衣〉を閉じ込めて、ひどい目にあわせたり困らせたりすることも多いのです。
帝はますます〈桐壺の更衣〉をかわいそうに思って、後涼殿という所に前から部屋をもらっていた身分が低い后を、他の場所へ移し、〈桐壺の更衣〉のもう一つの部屋としました。部屋を他に移された后の恨みは、とうてい晴れることがありません。
〈光源氏(若君)〉は、三歳になった年、袴着の儀式をしました。その様子は、第一皇子がこの儀式をしたときにも負けないほどです。見た目や性格が、めったにないほど素晴らしいので、〈光源氏(若君)〉を他の后たちも憎むことができません。
その年の夏、母の御息所〔〈桐壺の更衣〉のことです。〕は、病気になって実家へ帰ろうとしますが、〈桐壺の更衣〉がいつも体が弱いことに、帝は慣れてしまい、帰ることを絶対に許しませんでした。日に日に病気が重くなってきて、ひどく衰弱したので、〈桐壺の更衣〉の母は、泣きながらお願いをして、〈光源氏(若君)〉を宮中に残したまま、〈桐壺の更衣(御息所)〉だけ帰ることになりました。
帝は、かわいらしい〈桐壺の更衣〉が、やつれて意識がはっきりしない様子を御覧になって、今までのことや将来のこと、いろいろなことを約束したりするけれども、〈桐壺の更衣〉は、返事をすることもできません。つらそうな顔をして、意識を失った状態です。帝が「死への旅にも、共に行こうと約束しましたのに、私を残してはいけませんよ」と、おっしゃるのを、〈桐壺の更衣(女)〉も、とても嬉しく思い、次のように和歌を詠みました。
人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しい気持ちでいますが、
わたしが行きたいと思う路は、生きている世界への路でございます。
帝は、〈桐壺の更衣〉に輦車に乗ることを許し、〈桐壺の更衣〉は実家に帰りました。
帝は、胸がつまるほどに悲しんでいます。帝のお見舞いの使者が行って帰って来るほどの時間もたっていないほどに、「夜中を過ぎるころに、〈桐壺の更衣〉が息を引き取りになりました」と、お聞きになります。帝は、気も動転して、もう何の分別もつきません。
帝は、〈光源氏(若君)〉をこんな時でも御覧になりたいと思うけれど、喪中の人が宮殿にいることは前例にないので、〈光源氏〉を母君の実家に帰らせました。〈光源氏(若君)〉も何が起きたのかもわかりません。〈光源氏〉は、周りの侍女たちが泣きわめき、帝も涙がとまらなくなっていらっしゃるのを、何だか変だと見ています。
きまり通り、愛宕という所で、葬儀を行いました。母君も、〈桐壺の更衣〉と一緒に、火葬の煙となって消えてしまいたいと、泣いて、見送りの侍女の車に、追いつくようにして乗ってでかけました。
帝から使者があって、亡くなった〈桐壺の更衣〉に三位の位をお贈りになりました。
帝は、第一皇子を御覧になっても、〈光源氏(若君)〉を恋しく思い出してばかりいて、侍女や乳母などをつかって、〈光源氏〉の様子をお聞きになります。風が強くて肌寒い夕暮れに、〈靫負の命婦〉という女官を〈桐壺の更衣〉の母の所へ行かせました。
帝からの手紙に書いてあった和歌です。
宮中の萩に野分が吹いて露を結ばせたり散らそうとする風の音を聞くにつけ、
幼子の身が思いやられる
〈靫負の命婦〉が、〈桐壺の更衣〉の母に会って詠んだ和歌です。
鈴虫が声をせいいっぱい鳴き振るわせても
長い秋の夜を尽きることなく流れる涙でございますこと
〈うは君〉
ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に
さらに涙をもたらします内裏からのお使い人よ
良い贈り物をする場合ではありませんので、〈桐壺の更衣〉が残した着物や装飾品を、手紙にそえてあげました。
帝は夜更けになってもおやすみにならず、庭先に植えてある花を眺めながら、侍女を四、五人そばに控えさせて、お話をしていらっしゃいました。
帝の手紙に対して詠んだ、〈桐壺の更衣〉の母の歌です。
荒い風を防いでいた木が枯れてからは
小萩の身の上が気がかりでなりません
〈桐壺の更衣〉の母(祖母君)の話や〈光源氏(若君)〉のことなどを話して、贈り物を見せると、帝は次のように和歌を詠みました。
〈帝〉
亡き更衣を探し行ける幻術士がいてくれればよいのだがな、人づてにでも
魂のありかをどこそこと知ることができるように
第一皇子の母、〈弘徽殿の女御〉は、長い間帝の側に呼ばれず、月の美しい夜に合奏をして遊んでいます。殿上人や侍女たちは、「具合の悪いことだ」と、その合奏の音を聞いています。
帝は、〈桐壺の更衣〉の母(祖母君)の生活を心配して、次のように和歌を詠みました。
雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ
ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で
月日が過ぎて、〈光源氏(若君)〉が宮殿にやってきました。美しく成長したので、神につれていかれたりしないかと大変不安に思われました。翌年の春、第一皇子が皇太子に決まったときも、帝は、〈光源氏〉に第一皇子を越えさせたいと思いましたが、世間が納得しないことだと、遠慮して、表情にも出しません。
あの〈桐壺の更衣〉の母(祖母君)は、心を慰めることもなかったからでしょうか、亡くなってしまいましたので、またしても帝は、悲しいことだとお思いになります。
《光源氏(若君)》は《七歳》になりましたので、読書始めの儀式をして、勉強はいうまでもなく、琴や笛といった楽器もよくできて、宮殿の人々を驚かせました。
そのころ《高麗人の相人》がやってきて、この《光源氏(若君)》の学問の才能がすぐれていて、《容姿も美しい》のをほめたたえて、「光る君」と名付け、贈り物などを差し上げました。帝は、この〈光源氏(光る君)〉を皇族から外すのは惜しいけれど、源氏の名字をつけて、臣下にするように決めました。
〈絵2〉〈光源氏〉七歳のときに、迎賓館で、〈光源氏〉が高麗の相人に占いをしてもらっているところ(7丁裏)
年月が過ぎても、帝は、〈桐壺の更衣(御息所)〉のことを忘れることがなく、心をなぐさめることもできません。前の天皇の四番目のお姫さまで、見た目がとても美しいということを、〈典侍〉という女官が、主人である帝に伝えました。〔その人を、〈藤壺〉といいます。〕
昔の〈桐壺の更衣(御息所)〉によく似ていて、身分も高いので、帝は、〈藤壺〉に自然とお気持ちが移っていきました。
〈光源氏〉は、帝の近くから離れないので、〈藤壺〉のところにも《帝》と一緒によくついていきます。
〈光源氏〉と〈藤壺〉は、《帝》にそれぞれにとても愛されているので、〈藤壺〉のことを、〈光源氏〉の「光る君」に対して「輝く日の宮」とも呼びました。
《光源氏》は、《十二歳》で《元服》と呼ばれる成人式をして、《左大臣(引き入れの大臣)》の娘で、皇女の母親をもつお姫さまを、妻にすることが決定しました。〔その妻が〈葵の上〉です。〕
〈絵3〉〈光源氏〉十二歳のときに、宮殿で〈光源氏〉が元服の儀式をした場面(8丁裏)
〈帝〉
幼子の元服の折、末永い仲を
そなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか
〈左大臣〉は返事として次のように歌を詠みました。
元服の折、約束した心も深いものとなりましょう
その濃い紫の色さえ変わらなければ
左馬寮という役所が所有する馬に、蔵人所という役所が所有する鷹を添えて、〈左大臣〉にあげました。宮殿の階段のところに、上級の貴族や親王たちが立ち並んで、引出物などを位に応じて帝からもらいます。
その夜、〈左大臣〉の家に〈光源氏〉は行きました。〔〈光源氏〉は十二歳、〈葵の上〉は十六歳です。〕
〈左大臣〉の息子の〈蔵人の少将〉は、〈右大臣〉の〈四の君〉と結婚することになりました。
〈光源氏〉は、帝がいつも自分の側近くにお呼びになるので、ゆっくりと〈左大臣〉の家に落ち着くこともできません。〈光源氏〉は、〈藤壺〉のことを世の中にめったにないものと思って、〈藤壺〉のような女性と結婚したい、〈藤壺〉と似ている女性もいないなあと思うので、〈葵の上(大殿の君)〉とはあまり親しくなりません。
大人になってからは、子供の時のように〈藤壺〉と同じ御簾の中にも入れません。合奏をする時々に、琴や笛の音色に気持ちをこめ、かすかに聞えてくる〈藤壺〉の声を慰めにして、〈光源氏〉は宮殿でばかり過ごしています。

 

翻訳者畠山大二郎(本文・現代語訳), 渋谷栄一(和歌・現代語訳), 淺川槙子(補訂)バージョン2
公開日2016/11/18更新日2016/11/18
原本『十帖源氏』

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