「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(2017年度 基盤研究(A)課題番号︰17H00912 研究代表者 伊藤鉄也)

論文名

(論文集)『ロシア語訳『源氏物語』の研究 ─<語り>・和歌・もののあはれの観点から─』

執筆者

土田久美子

掲載誌名

(関西学院大学出版会)

発表・刊行年

2015

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無し

要旨

(商品の説明)
https://www.bookpark.ne.jp/cm/contentdetail.asp?content_id=KNGK-00096
 本論は、「ロシア文化を背景とするロシア人翻訳者が、『源氏物語』をどのように理解したのか、そしてその『源氏物語』観に基づいてどのような翻訳テクストを生み出したのか」という問題意識に沿って、タチアーナ・リヴォヴナ・ソコロワ=デリューシナ(1946-)による『源氏物語』のロシア語完訳の特徴を明らかにするものである。
 筆者は修士課程在学中の1997年6月から1998年3月までロシアのプーシキン大学、及び博士後期課程在学中の2001年4月から2002年2月までモスクワ大学に留学し、その間にデリューシナ氏と共にロシア語訳『源氏物語』を検討する機会を得た。翻訳者本人の証言を資料として、ロシア人翻訳者が『源氏物語』を読んで何を考え、それがどのように翻訳テクストに反映されたのかを検証する。
 具体的には<語り>、和歌、「もののあはれ」の観点から、原文はもとより英・仏・独・中国語訳とも比較しながら論じる。
 『源氏物語』は語り手が話の内容を語る散文部分と、作中人物が詠む和歌の部分から構成されている。そして本居宣長が提唱して以来、「もののあはれ」は本物語の中心となる美的理念とみなされている。
 筆者が原文とデリューシナ訳を読み比べた結果、やはり特にこの三つの観点に同訳の特徴が表れていると判明した。
 そのため、まず第一部で『源氏物語』の散文部分における<語り>の手法、第二部で和歌のリズムと修辞技法という形式面から考察を加え、そして最後の第三部で物語全体を貫く「もののあはれ」の美的理念の面に焦点を当てる、という順序で三方面からロシア人翻訳者デリューシナ氏の『源氏物語』理解及びそのロシア語訳の特徴を解明する。
 従って、本論は三部構成である。
 本論の第一部では、<語り>の手法に着目する。デリューシナ氏は原文の<語り>の手法をどのように理解し、どのように訳文に移したのかという問題である。デリューシナ氏も翻訳にあたり、これらの手法を特に重視していた。よって第一章で人物呼称、第二章では時制の問題を取り上げ、これらの翻訳方法にもデリューシナ氏の『源氏物語』理解が反映していることを示す。
 第二部では、『源氏物語』の不可欠な要素でありながら翻訳が容易でない和歌に、ロシア人翻訳者がどのように取り組んだのかを検証する。第一章では、まず和歌の31音のリズムが、どのようなロシア語の詩のリズムに移しかえられているのかという問題を扱う。第二章では、和歌の修辞技法に焦点を当てる。デリューシナ氏はこうした手法にも『源氏物語』の重要な特質が表現されていることを読み取っていた。その理解に基づき、修辞技法を含む和歌をどのような方法で翻訳したのかを明らかにする。
 第三部では、「あはれ」、「もののあはれ」の訳語の問題を論じる。「もののあはれ」は『源氏物語』の中心となる美的理念であるだけでなく、翻訳研究にとしても興味深い語彙である。外国語への等価な翻訳が困難であると考えられるからである。まず第一章では、日本における「もののあはれ」認識と照らして、デリューシナ氏が「もののあはれ」の概念をどのように理解しているのかを明らかにする。第二章で、その「もののあはれ」理解を基に『源氏物語』本文で「もののあはれ」、「あはれ」にどのようなロシア語の訳語があてられたのかを検討する。
 最後に結論をまとめる。
 本論により、デリューシナ氏の認識が訳文に反映されたところは、英訳、仏訳、独訳、中国語訳には見られない、あるいは大多数の他の外国語訳には見られない特徴となっていたことが明らかになった。氏の『源氏物語』理解の独自性が、翻訳テクストの独自性を生んだと言える。

備考

(目次)
序論
第一章 本論文のテーマと構成
 第一節 研究課題とその意義
 第二節 先行研究、及び本研究の意義
 第三節 考察の視点と論文の構成
第二章 ロシア・ソ連における『源氏物語』研究史─完訳出版に至るまで─
 第一節 アストン『日本文学史』の書評から
 第二節 ロシア日本学の黎明期
 第三節 ニコライ・ヨシフォヴィチ・コンラドについて
  3.1.『源氏物語』翻訳に至るまでの略歴
  3.2.コンラド訳の概要
  3.3.コンラドの『源氏物語』解説
  3.3.1.世界文学的視座からの評価
  3.3.2.形式への関心
 第四節コンラド以降の『源氏物語』研究
  4.1.ピーヌス著「古代日本文学における人間」(1969年)
  4.2.ボローニナ著『日本の古典長編小説』(1981年)
 第五節タチアーナ・リヴォヴナ・ソコロワニデリューシナ氏について
  5.1.デリューシナ氏略歴
  5.2.デリューシナ訳『源氏物語』の概要
  5.3.底本について
  5.4.『源氏物語』翻訳のためのロシア語
第一部 ロシア語訳『源氏物語』における〈語り〉の諸問題
第一章人物呼称
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 『源氏物語』における人物呼称の用法
 第二節 外国人翻訳者たちの人物呼称に対する見解
  2.1.タイラー氏の見解
  2.2.サイデンステッカー氏の反論
  2.3.林文月氏の見解
  2.4.ベンルの見解
  2.5.デリューシナ氏の見解
  2.6.シフェールの見解
  2.7.ロシア人翻訳者とフランス人翻訳者の見解の共通点と差異
 第三節翻訳例の検討
  3.1.源氏の呼称─「無常」の体現
  3.1.1.原文における源氏の呼称の移り変わり
  3.1.2.デリューシナ訳における源氏の呼称の移り変わり
  3.1.3.源氏の呼称翻訳における問題点
  3.1.4.「ゲンジ」呼称にっいて─視点の移動
  3.2.頭中将、夕霧、柏木、薫の呼称─「不変性」の体現
  3.2.1.「頭中将」の呼称
  3.2.1.1.原文における頭中将の呼称の移り変わり
  3.2.1.2.デリューシナ訳における頭中将の呼称の移り変わり
  3.2.2.夕霧の呼称
  3.2.3.柏木の呼称
  3.2.4.薫の呼称
  3.3.デリューシナ訳の問題点
 第四節考察のまとめ
第二章 時制の交替
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 『源氏物語』の時制
 第二節 他の外国語訳『源氏物語』の時制をめぐる議論
 第三節 ロシア語訳の検討
  3.1.コンラド訳の場合
  3.2,デリューシナ訳の場合
  3.2.1.吹抜屋台の原理を活かして
  3.2.2.コンラド訳と同様の手法
  3.2.3,垣間見の現在形
  3.2.4.会話・詠歌場面の現在形
  3.2.5。ロシア文学における時制の用法
 第四節 考察のまとめ
第二部 作中和歌の考察
 第一章リズムの翻訳
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 デリューシナ氏の和歌の翻訳方針
 第二節 他の外国語訳の場合
  2.1.和歌の音節数にそろえられた翻訳
  2.2.和歌の音節数に従わない翻訳
 第三節 ロシア詩のリズム構造
  3.1.音節詩からアクセント主体のリズムへ
  3.2.詩脚の種類
  3.2.1.ヤンブ(略)
  3.2.2.ホレイ(略)
  3.2.3.ダクチリ(略)
  3.2.4.アンフイブラーヒイ(略)
  3.2.5.アナペスト(略)
 第四節 コンラド訳和歌のリズム構造
  4.1.二種類の実験
  4.2.コンラドの和歌の翻訳方針
 第五節 デリューシナ訳和歌のリズム構造
  5.1.デリューシナ訳和歌の具体例
  5.2.ジュコフスキイ『彼女に』一和歌翻訳のリズムの手本として
  5.3.問題点─翻訳の形式を守るために
 第六節 両訳の検討
第二章 和歌の修辞技法
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 掛詞、縁語とは何か
 第二節 外国人翻訳者の和歌の修辞技法に対する認識
  2.1.翻訳不可能で巧妙な表現として
  2.2.人間と自然の一体化を表現する手段として
 第三節 翻訳例の検討
  3.1.二重の意味のうち一方のみの翻訳
  3.2.両義訳出
  3.3.ロシア語の言葉遊びによる翻訳
  3.3.1.「隠し題」による訳
  3.3.2.類音掛けによる翻訳
  3.3.3.反復掛けによる翻訳
 第四節 考察のまとめ
 補足 言葉遊び以外による修辞技法の翻訳方法
第三部 訳語の問題─「もののあはれ」「あはれ」を中心に─
第一章 ロシア人翻訳者の「もののあはれ」理解
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 「もののあはれ」とは何か
  1.1.「もののあはれ」の語義
  1.2.本居宣長の「もののあはれ」論
  1.3.宣長以降の「もののあはれ」論
 第二節 「もののあはれ」の他の外国語訳
  2.1.英訳の場合
  2.2.フランス語訳の場合
  2.3.ドイツ語訳の場合
  2.4.中国語訳の場合
 第三節 ロシア語訳『源氏物語』の「もののあはれ」紹介
  3.1.コンラドの「もののあはれ」紹介
  3.2.ボローニナ著『日本の古典長編小説』における「もののあはれ」
  3.3.デリューシナ氏の「もののあはれ」紹介
  3.3.1.「モノの哀感をたたえた魅力」として
  3.3.2.本質的な美の概念として
 第四節 「もののあはれ」理解の手掛かりとなった作品
  4.1.1.ジュコフスキイ『表現されえぬもの』
  4.1.2.ジュコフスキイの思想的背景
  4.2.1.フランク『理解不能なるもの』
  4.2.2.フランクの思想的背景
 第五節 考察のまとめ
第二章 「もののあはれ」「あはれ」訳語の検討
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 物語本文における「もののあはれ」の翻訳
  1.1.翻訳例の検討
  1.2.考察のまとめ
 第二節 物語本文における「あはれ」「ものあはれ」の翻訳
  2.1.ロシア語訳・各英訳において頻出する「あはれ」の訳語
  2.1.1.「略(感動させる)」─最も多い「あはれ」のロシア語訳
  2.1.2.「略(悲しい)」─「あはれ」の第二番目に多いロシア語訳
  2.2.ロシア語訳・各英訳において頻出する「ものあはれ」の訳語
  2.2.1.「略(悲しい)」─「ものあはれ」の最も多いロシア語訳
  2.2.2.「略(憂い、ふさぎの虫)」として
  2.3.コンラド訳とデリューシナ訳の比較
  2.4.デリューシナ氏の「もののあはれ」理解に基づく翻訳
  2.4.1.「略(深い意味)」として
  2.4.2.「略(魅力)」として
  2.4.2.1.用例一覧
  2.4.2.2.ロシア語訳と他の外国語訳に共通する事例
  2.4.2.3.ロシア語訳の特徴と考えられる事例
 第三節 考察のまとめ
結論
引用文献